2009年07月03日

郵便事業からの移管完了までの間

郵便事業からの移管完了までの間、JPEXの直営拠点(主に統括支店が併設されており、「支店」と呼称している。県庁所在地名そのものの旧ペリカンセンターは「支店」への移行で拠点名が概ね改称されている)を除く拠点は、日通が受託する形となり、従来通り、拠点名は「ペリカンセンター」のままになっている。なお、日通が手がけていた当時から、地方によっては別の事業者に委託していたところもあり、こちらについては、JPEXへの移行に伴い、JPEXから日通に委託したものを当該事業者へ再委託する形を取っている(こちらの拠点は、再受託事業者名そのものが拠点名となっているところと、日通委託拠点同様「ペリカンセンター」となっている拠点とが存在する)。ただし、店舗検索で、「○○支店××営業所」になっている拠点は、「○○支店」そのものは、JPEXの支店ではなく、受託先である日通の支店であるため、「日通委託拠点」となる(統括支店の下にある支店がJPEXの直轄支店だが、この支店配下の営業所は、ペリカンセンター同様日通委託の拠点もある)。このため、純粋な直轄体制の拠点は、「○○統括支店△△支店」となっているところのみとなる(施設ないしは電話番号自体は、日通のアローセンターと共用しているケースもあるが、組織上はJPEXとアローセンターは完全に別)。
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日通時代は、「アロー便」とセットで、引越等その他の部門とは独立した支店(「ペリカン・アロー支店(PA店)」)が担当しており、元々のペリカンセンターはその配下にあるペリカン便部門の拠点名であった。

日通が本来得意とするのは企業向けの貨物輸送・物流業務で、特に国際航空貨物輸送(日通航空の名称で展開)は最も競争力を持っており、大きな収益源である。

世界各地に自社の輸送ネットワークを構築しているため「日通で貨物を運べない国や地域はない」とも言われることがあり、国際航空貨物取扱で2位の近鉄エクスプレスを大きく引き離している。

2009年06月13日

基本的に五味(酸苦甘辛鹹)であるが

辛口
日本酒の味覚評価も、基本的に五味(酸苦甘辛鹹)であるが、料理のそれと同じ言葉を使っていても概念は大きく異なる。「辛い」といっても、料理における辛(トウガラシやコショウのような味)や鹹(塩辛さ)ではない。また、舌の表面にある味蕾(みらい)でキャッチされ脳へ送られる味覚は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味のみであり、味細胞には辛味の受容体はないため、「酒が辛い」と感じるのは、舌表の痛覚がアルコールに刺激されているだけと考えられている。
そのため一般に、アルコール度や日本酒度が高ければそれだけ辛口に感じるため、かつて昭和時代にはやみくもにアルコール添加して三増酒が作られたりしていたが、「質の良い辛さ」ではなかった。本当の辛口は、アルコール度数だけでは造られていない。

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また、「淡麗辛口が優れた酒の基本条件である」かのような認識(参照:辛口ブーム)が蔓延していたころもあったが、これも正しい理解ではない。つまるところ「辛口には辛口の良さ、旨口には旨口の良さがある」という当たり前なことに返ってくる。また人の味覚はその日の体調によって大きく左右されるため、「この酒は甘口だ/辛口だ」というだけの品評にはあまり意味はなく(参照:日本酒度・甘辛度・アミノ酸度)、熟達した愛酒家たちはまったくといってよいほど「甘口/辛口」で酒を評価しない。
甘口
旨口(うまくち)と混同されることが多いので注意。「日本酒度が低ければ甘口」と短絡的に考えるのは正しくない。
酒粕が多く混ざっている酒、すなわち濁り酒(にごりざけ)やおりがらみのように比重が大きければ、日本酒度は低く、ときに「-15」のように大きく0(ゼロ)を下回るが、こういう中にも「辛口の濁り酒」が多く存在する事実が、比重や日本酒度と「甘い/辛い」にはさほどの関係がないことを示す例である。
甘酒(あまざけ)、女性消費者向けのデザート日本酒、諸白などで作った製成酒が甘口の例として挙げられる。
旨口(うまくち)
一般に清酒に関して「甘口」と表現されるのは、じつはこの旨口である場合がほとんど。相対的に辛味が刺激されないため「甘口」と間違えられやすいのである。旨口は、辛口の要素となりやすいキレよりも、コクと奥行きのある馥郁(ふくいく)たる味わいである。目指す仕上がりへ持っていくためには、アルコール度数の高さでごまかせないため、造り手にとってはある意味でいっそう難しい味ともいわれる。
端麗 / 淡麗(たんれい)
口に含んだときに、きれいで滑らかな感じを受けたときに用いる表現。日本語としては本来「端麗」が正しいのだが、1980年代に始まる辛口ブームの間に商標などを通じていつしか「淡麗」と書かれ始め、そういう酒の味の代表格である新潟県で奨励品種の酒米として「越淡麗」(こしたんれい)を開発するに至り、現在ではすっかり酒の味に関しては「淡麗」と書くようになった。
芳醇 / 豊醇(ほうじゅん)
香りが高く味がよいこと。これも日本語としては本来「芳醇」が正しい(日本語の辞書の中には「芳醇」がなく、「芳純」「芳潤」とするものもある)のだが、商標や酒銘などで一般化したため「豊醇」とも書くようになってきている。
濃醇(のうじゅん)
味が濃いこと。「淡麗」の対極にあるのはむしろこの濃醇である。
ピン
後味が引き締まった感じをさす。辛・甘・旨の味のバランスによって織り成される。そのバランスが酒の味のアウトラインを決めるといってもよい。
キレ
後味がすっきりして軽快な場合に「キレがある」と表現する。地方によっては「サバケがよい」と表現する。
荒い
口に含んだときに、口中に刺激を受ける状態をさす。よく言えば元気のある若々しい味、わるく言えば熟成感に欠ける味である。
吟味(ぎんあじ)
長い時間をかけて低温熟成した酒に生まれる、あっさりとした旨みをさす。
ふくらみ
口中に広がる、バランスの良いしっかりとしたコクのある味をさす。「ゴク味」「味の幅」などとも表現される。
ゴク味
酒の五味がほどよく調和して、バランスの良いコクが感じられる状態を「ゴク味がある」と表現する。
収斂味(しゅうれんみ)
酒がまだ若いときに感じられる、思わず口をすぼめたくなるような渋みのこと。たいていは酒の熟成とともに自然に消えていく。逆に、これが消えていくのを以って酒の熟成度を舌で測ることもできる。
押し味
酒を利いたあとの後味にふくらみがあり、安定して余韻を響かせているような味。
コシ
押し味があって、安定した味わい残すときにはを「コシがある」「コシが強い」といい、反対に後味がぼけた感じがするときは「コシがない」「コシが弱い」という。
どっしり
ふくらみとコシのある、容易に燗くずれのしない、丹念な造りの味に用いられる表現。
しっかり
安定感とコシのある、容易に燗くずれのしない、丹念な造りの味に用いられる表現。ある意味では「どっしり」よりも頻繁に使われる「しっかり」だが、しっかりかどうかを判断するのは初心者には難しいのもまた現実である。初心者にもわかりやすい手軽な判断方法としては、酒をアルコール14度くらいにまで水で割ってぬる燗にして味わってみることである。そのときに味切れが良い酒は「しっかり」した造りである。酒中に未分解の成分が多かったり、醪末期に急激に酵母が死滅してしまうと、酵母からよけいなアミノ酸が出ることによって、味切れが悪くなることがある。こういう酒は概して完全醗酵させた酒に比べて劣化が早く、味も「しっかりしている」とは言わない。こういうことは個々人の主観、すなわち味覚で判断するのが一番で、裏ラベルに表示されているアミノ酸度など見てもわかることではない。
(味/香りが)開く
冷やでは、その酒質が本来持つ味や香りが冷たさの奥に閉じ込められてしまい、官能として感じられないことがあるが、それらを人肌燗・ぬる燗あたりまで温めると、花がゆっくり開くようにそれらが感じられてくる。そのような時に用いる表現である。しかしあまり熱すると、かえって感じられなくなる。

ちなみに日本酒匠研究会では、「甘い/辛い」「淡麗/濃醇」を座標軸とする味の分類には実用性がないとして、飲用温度や料理、器を連想しやすい「香りが高い/低い」「味が濃い/淡い」を新たな座標軸とし、次のような四分法を用いている。

熟酒(じゅくしゅ)
香りが高く、味が濃い酒。時間をかけて熟成された濃厚な味わい。熟成酒、古酒、秘蔵酒など。
醇酒(じゅんしゅ)
香りが低く、味が濃い酒。いわゆるコクが感じられる味わい。純米酒、生酛系(きもとけい)など。
薫酒(くんしゅ)
香りが高く、味が淡い酒。吟醸香の在り方が鑑賞できるもの。大吟醸など。
爽酒(そうしゅ)
香りが低く、味が淡い酒。軽快でなめらかなもの。生酒、生貯蔵酒、低アルコール酒など。

2009年06月09日

七尾畠山家ともいわれる。歴代の当主が修理大夫

七尾畠山家ともいわれる。歴代の当主が修理大夫に任じられたため、その唐名より畠山匠作家とも称された。修理大夫は畠山国清が称した官位であることから、没落した畠山国清系統の再興を意図したのではないかとの指摘がある。

能登国は、当初は吉見家が守護を務めていたが、康暦の政変において細川頼之派であった吉見氏興が失脚し、代わって守護となった本庄宗成(義満の寵臣の一人で元々日野家の家人)もまた統治に失敗があったため、足利一門にして足利義満の信頼の厚かった畠山基国が守護となり、以降は畠山家の分国となった。

初代当主である畠山満慶は、父である畠山基国の没後、当時足利義満の逆鱗に触れて蟄居していた兄・畠山満家に代わって畠山家本家の家督を継いでいたが、義満の没後に満家が赦免されたため、満慶は家督を兄満家に返還した(当時は「天下の美挙」と言われた)。兄の満家は感謝の意から分国のうち能登一国を満慶に与え、応永15年(1408年)に畠山満慶を初代とする能登畠山家が創設された。

満慶と第2代当主・畠山義忠は、在京守護であり、所領の支配は守護代の遊佐家に委ねられていたが、応仁の乱後、第3代当主・畠山義統が能登に下向したことで在国大名となり、強力な領国支配体制を築き定着していったことで、他国の守護大名分国で起こったような下剋上が能登では起こらなかった。
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しかし、第4代当主・畠山義元の時、弟の畠山慶致との間で兄弟争いが起こり、明応9年(1500年)には慶致派の守護代の遊佐統秀によって義元は追放され、第5代当主に弟の慶致が擁立された。だが、一向一揆など戦国の状況が能登でも差し迫ってくると、永正3年(1506年)、両者は和解して義元は復帰して再び当主となった(その代わりの条件として、慶致の子・義総が義元の後継者と設定された)。

第7代当主・畠山義総は名君であり、畠山氏のお膝元である七尾は都から貴族も転居してくるなど小京都と呼ばれるほどに栄え、能登畠山家もまた大いに繁栄した。

しかし義総が死去し第8代当主として畠山義続が家督を継ぐと統制が乱れ、畠山七人衆と呼ばれる重臣の権力者グループに実権を握られ大名は傀儡化されてしまう。第9代当主・畠山義綱のときに一時、内乱を鎮圧し大名権力を奪回し大名専制支配を行ったが、重臣たちの反発を招き、当主の追放というクーデターに発展した。その後はまた重臣たちに権力を握られ、内部紛争が続き衰退の道をたどった能登畠山家は、天正5年(1577年)に越後の上杉謙信の侵攻を受けて滅亡した。

なお、義綱の弟・畠山義春は上杉景勝に仕え、その姉を正室に迎えて上条上杉家の名跡を継いだ。彼の長男・畠山景広は米沢藩一門衆に、次男長員は高家旗本上杉家の祖に、三男・義真は高家肝煎畠山家の初代となっている。

2009年04月25日

ジョチ・ウルスのハン位めぐる激しい内乱の後

1430年前後のジョチ・ウルスのハン位めぐる激しい内乱の後、バシ・テムルの孫でクリミアにいたハージー1世ギレイは、リトアニア大公国の支持を受けて自立をはかり、1441年頃、クリミアにおいてハン位を自称、独立を宣言した。一般に、これをもってクリミア・ハン国の成立とみなされている。 ハージー・ギレイの死後、クリミアではハンの位を巡ってハージー・ギレイの息子たちの間で内紛が起こり、1475年にオスマン帝国の介入を受けた。オスマン帝国は、ジェノヴァが保有していたクリミア半島南岸の諸港湾都市を奪って自領に編入するとともに、内陸部から半島以北を支配するクリミア・ハン国を属国とした。

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一方、オスマン帝国の支持を得て1478年にハンの座を最終的に確保したハージー・ギレイの六男メングリ1世ギレイは、オスマン帝国の保護下で勢力を蓄え、1502年にはサライを攻略、分裂後のジョチ・ウルスにおいて正統政権と目されるウルグ・オルダを滅ぼした。これにより、黒海北岸をドニエプル川下流域から北カフカスの一部まで支配し、タタールのみならずノガイの一部まで支配する王国に成長した。また、ウルグ・オルダの併合は、この政権にジョチ・ウルスの正統な後継者としての権威をもたらした。なお、その後クリミア・ハン国のハン位を独占したメングリ・ギレイの男系子孫はみな名前の後半に「ギレイ」の名を冠したため、この王家は「ギレイ家」と通称されている。1532年、サーヒブ1世ギレイはバフチサライに宮殿を築き、そこへ遷都した。
16世紀前半のクリミア・ハン国はカザン・ハン国へしばしばハン位の継承者を送り出し、同じくカザンへの影響力を強めようとするモスクワ大公国と対抗関係にあり、その軍勢はモスクワやトゥーラを幾度も包囲し、モスクワ大公国を大いに脅かした。世紀半ばにはカザン・ハン国、アストラハン・ハン国がモスクワによって相次いで滅ぼされ、タタールの国々へのモスクワの影響力が増すが、1551年に即位したデヴレト1世ギレイの率いるクリミア・ハン国軍は1571年、ポーランド・リトアニア連合王国と結んでモスクワを強襲し、モスクワの町を焼き払った(リヴォニア戦争)。

また、このような大規模な遠征でなくとも、クリミア・ハン国のタタールやノガイたちはしばしばモスクワ大公国の領内に攻め込み、都市や農地を焼き払い、住民を捕虜として連れ去った。このためにクリミアの都市の商館は商品となるロシア人やウクライナ人の奴隷で溢れかえったと言われている。 モスクワ大公国は捕虜となった人々を奴隷身分から買い戻すために多額の支出をせねばならず、また、襲撃を回避するためにジョチ・ウルスの正統継承者として貢納を課すクリミア・ハン国の要求に応えねばならなかった。

17世紀に入ると、ロシア・ウクライナの方面ではコサック(カザーク)と呼ばれる正教徒の集団が各地にあらわれ、ムスリムであるクリミア・ハン国やオスマン帝国の領内に対して、逆に襲撃をしかけるようになった。 また、ロシアでは南方戦線の防衛体制がようやく整い、逆茂木線と呼ばれる防御ラインも構築されたため、世紀半ばにはロシアへのクリミア・ハン国の襲撃はようやく下火になった。17世紀後半になると、モスクワ大公国(ロシア帝国)はウクライナへと支配を広げ、クリミア・ハン国と直接境界を接することになるとともに、クリミア・ハン国へは次第にロシアの圧力が加えられるようになる。

1683年、クリミア・ハン国の軍勢も参加したオスマン帝国の第二次ウィーン包囲が失敗に終わると、クリミア・ハン国もオスマン帝国の対ロシア戦争に巻き込まれ、1700年にオスマン帝国とロシアの間で結ばれた条約によってロシアへの貢納請求権を放棄させられた。18世紀にはロシアの圧力はさらに強まり、1736年には初めてクリミア半島本土へのロシア軍の侵攻を許した。このとき、16世紀以来のバフチサライの都と宮殿はロシア軍の手によって放火、破壊されている。

1768年に始まる露土戦争の後、ロシアは1774年のキュチュク・カイナルジ条約によって、クリミア・ハン国をオスマン帝国から独立させ、300年続いたオスマン帝国の保護から切り離した。これ以降、クリミアに対するロシアの影響力は急速に深まり、1783年4月8日、ロシアのエカチェリーナ2世は条約を破ってクリミア・ハン国をロシア帝国に併合した。


2009年04月08日

ニューミュージックに対する反感

ニューミュージックの作品のうちかなりの数がヒットし、特に、1970年代後半には、CM、TV番組、映画等とタイアップして大成功を収めたり、ニューミュージックのアーティストがラジオの番組を持ったりテレビの番組(音楽番組に限られない)に出演する例も多く、場合によってはアイドル的な取り扱いを受けたりしたことがあった。それにより、特に、当時ヒットを出せなかったミュージシャンおよびそのミュージシャンを支持するファンや音楽評論家から、世の中に迎合している、などとの批判がなされること(ねたみによるものを含む)がしばしばあった(ニューミュージックがその勢いを失った後の批判が多い)。時には、「産業フォーク」というべっ称で呼ばれることもある。いまだに、一部には、根強い反感が存在する(なお、「産業フォーク」という言い方は、批判的な文脈だけで用いられるわけではない。フォークソング参照)。

また、論者によっては、ニューミュージック全体を批判するわけではなく、特定の作品のみを「産業フォーク」と呼んで批判する場合もあった。この中には、特定のアーティストや評論家に対する反感、しっとを、ニューミュージックへの批判というオブラートに包んでいるというような、し意的なケースもあった。さらに、その余波として、当時ニューミュージックを積極的に紹介していた雑誌「新譜ジャーナル」(自由国民社・現在は休刊)が、当時またはその後に、攻撃の対象とされたこともあった。

さらに、音楽評論家等が、「一般に(または、ほとんどの)ニューミュージックは嫌い」という立場と「自分が好きなミュージシャン(例えばAとする)がニューミュージックと呼ばれることがある」という事実の間の矛盾を解消するために、「Aはニューミュージックではない(だから、ニューミュージックが嫌いな自分がAを好きでも問題はない)」と、し意的な主張がなされて、ニューミュージックの範囲についての混乱に拍車がかかったケースもある。

なお、このような反感を買ったことは、ニューミュージックのアーティストの側に問題があった場合(アーティストがヒットしたことを鼻にかけた場合など)も含まれる。

セレン ケース ルージュ データ スワップ スーパー オルグ マスイブ 碁の杯 ズッキーニ プルト ディレ ポーリア デーリー タイプ ドラゴン パスヒ バットレス ギムレ ピート トウヨ リッドカ コリー いちい パネル メタセ バンダ リファレ ブラーフ ドリティ かみいそ ひけつ ノクロス オブジェキ ヒットソ ピア ポール フルスケ ハネウェル バウチ ロスペクト レッサー アクセス ソンク ばいせん シーランド フリース しぶし レシピ ハイビ

2009年03月24日

名鉄モ600形電車 (2代)

名鉄モ600形電車(めいてつモ600がたでんしゃ)は、名古屋鉄道の美濃町線で使用されていた車両である。

1970年、同線の列車を新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)へ直通させるために、600Vと1500Vの2つの電圧の区間を直通可能な複電圧車両として建造された(詳細は名鉄田神線・名鉄美濃町線を参照)。 軌道線車両で鉄道線?軌道線の直通運行は、名鉄線内では既に岐阜駅前?本揖斐・谷汲間で行っていたが、他は(西)ドイツに例がある程度で、世界的にはかなり珍しい形態であった。(軌道線車両の鉄道線乗り入れは、現在でも福井鉄道福武線、広島電鉄宮島線、伊予鉄道城北線があり、過去には何例か見られた)

外観は、車体幅が狭い上に両端の幅をさらに絞った構造のため、実際以上に細く見える。走行装置に600V鉄道線車両のものを再利用したため、床が高かった。その形状から「馬面電車」と呼ばれることもあった。客室内は1人がけ+2人がけの転換式クロスシートで、室内中央を境に左右逆にして配置してあった。屋根上には冷房の室外機のようなものが数多く並べられていたが、これらは床下に搭載するスペースがなく屋根に追いやられた抵抗器で、本形式は冷房車とはならなかった。性能面ではモ510形の2個モーター仕様で、HL制御であった。足回りの台車(日本車両製造D-12ボールドウィン台車)は、モ180形のを再利用したものであるが、モ180形の前身は琴平急行電鉄のデ1?3、デ5?7である。

モ601?606の6両が製造され、新岐阜駅?新関駅間などの列車の主力となったが、2000年に新型車モ800形が導入されると、これと入れ替わりに5両が廃車され、モ606のみ予備車として2005年の美濃町線全廃まで残った。なおそのうちモ601は、旧美濃駅に展示されている。

製造当初は赤の車体に白帯を巻き、美濃町線内では急行運転(日中は45分間隔)や連結器を用いての2両連結運転も頻繁に行っていた。しかし後に急行が廃止されて普通のみとなり、乗客減に伴って1両での運行が増え、晩年は殆ど連結運転はされなかった。モ606は廃車直前に、1978年頃に消滅していた白帯を再び復活させて走行していた。

テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう

2009年03月08日

アーサー・コナン・ドイル

アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle KBE、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。

『シャーロック・ホームズ』シリーズに登場する史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出した事で知られ、エドガー・アラン・ポーとともに現代の推理小説の生みの親とされている。

現実社会でもジョージ・エダルジ事件[1]、オスカー・スレイター事件[2]で被疑者の無実を主張し、冤罪を晴らすために力を尽くした。また、冤罪を防ぐために刑事事件の控訴院を設立することに尽力した。

SF分野では『失われた世界』、『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『白衣の騎士団』、『勇将ジェラールの回想』などを著している。

年譜
1859年、スコットランドの首都・エディンバラ市で、イングランド生まれの役人の父とアイルランド人の母の間に生まれた。父方の祖父・ジョン(John Doyle)はダブリンで生まれロンドンに出て"H.B."の筆名で著名な風刺画家となり、伯父のリチャード・ドイル(Richard Doyle)はイラストレーターで、ドイル家はアイルランド系で芸術の職につくものが多かった。イエズス会系のインデペンデント・スクールであるストーニーハースト校(Stonyhurst College)に学んだが、学校を離れた1875年にキリスト教を拒絶して不可知論者となった。その後1876年から1881年にかけてエディンバラ大学で医学を学んだ。この時アストン(Aston:現在はバーミンガムの一地域となっている)の町で外科医師の助手として働いている。この頃古典文学の廉価版の古本やエミール・ガボリヨ、エドガー・アラン・ポーの作品を愛読した[3]。父親がアルコール依存症により精神病院に入院したため、在学中に北氷洋行きの捕鯨船に船医として8箇月程乗り込み、弟妹の多い一家の家計を支えた。級友より数箇月遅れて22歳で大学を卒業した後はアフリカ航路の荷物汽船の船医として3箇月程働く。山師の気を持つ級友とプリマスで診療所を共同経営したが喧嘩別れした。その後1882年にポーツマス市のサウスシー(Southsea)地区に眼科を専門とする診療所を開いた。彼の診察所は振るわず、患者を待つ間に小説を書き三文雑誌へ送ったが、その度に返却され終いには切手代すらも怪しくなった。 なお「そのころ、現在FAプレミアリーグに属しているポーツマスFCの創設時に同チームに所属しており、初代ゴールキーパーを務めていた」と広く信じられている。実際に所属していたのはポーツマスFCとは別のポーツマスAFCというクラブで、このクラブはポーツマスFCが結成される4年前に解散している。

1884年、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』(J.Habakuk Jephson's Statement)という1872年のメアリー・セレスト号(Mary Celeste)乗組員失踪事件に基づいたフィクションであるマリー・セレスト号(Marie Celeste)事件についての短編小説が『コーンヒル・マガジン』(Corn-hill Magazine)1月号に匿名で投稿掲載され評判になる(この小説のためメアリー・セレスト号失踪事件がマリー・セレスト号と誤った名称のまま有名となる)。
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

1885年、彼は患者の姉であったルイーズ・ホーキンズと結婚した。彼女は結核のために1906年に死去した。彼はその後1897年の出会いのときに一目ぼれをしたものの、妻を気遣って精神的なかかわりをもち続けていたジーン・リッキーと1907年に結婚した。

1887年のクリスマス、彼の最初のシャーロック・ホームズシリーズである『緋色の研究』が『ビートンクリスマス年鑑』にシャーロック・ホームズの登場として発表された。あちこちの出版社から断られ続けた挙句ワード・ロック社と25ポンドで著作権買取という条件にて世に出た作品である。発表後はしばらく売れずドイルはもうホームズ物は書くまいと考えていたが、アメリカの雑誌リピンコット・マガジンからの依頼を受けて書いた『四つの署名』がリピンコット・マガジン1890年2月号に掲載されるとホームズは莫大な人気を博した。だが、ドイル自身は自らの歴史小説やSF物のほうに価値を感じ、シャーロック・ホームズシリーズを快くは思っていなかった。『白衣の騎士団』のような中世の騎士道を描きたかったといわれる。

1890年、ドイルはウィーンで眼球の研究をし、翌1891年にロンドンへ移り、眼科専門医として診療所を開いたが、患者が訪れない暇を執筆時間に充てた。ドイルは医者を止めて作家として暮らしを立てていくことを決心したが、作者が望む以上のホームズ人気の高まりに、同年11月の母親への手紙で「僕はホームズの殺害を考えている……そして彼を永久に消してしまいたい。ホームズは僕の心をよりよいものから取り払ってしまった」と書いた。1893年に「悪の組織の首魁」として登場させたジェームズ・モリアーティ(モリアーティ教授)と共に『最後の事件』でスイスのライヘンバッハの滝壷へとホームズを突き落としてしまった。しかし読者はシャーロック・ホームズの復活を声高に要求した。「ホームズの死」を悼んでこれ見よがしに喪章を着けて外出する熱狂的読者もいたという。これに押された作者ドイルはホームズが日本の「バリツ」という武術を用いてモリアーティを滝壷へ突き落とし、自身はモリアーティの手先から逃れるために身を隠し、辛くも助かったことにして復活させた(『空家の冒険』冒頭部)。モリアーティは母親メアリのスペルをもじったもので、ドイルが母親のことを快く思っていなかったことの表れとも言われている。

シャーロック・ホームズは結局、56の短編と4つの長編に登場した。最終作『最後の挨拶』で引退した事になっている。ドイルを最も有名たらしめたシャーロック・ホームズシリーズではあるが、その甚大な人気のゆえに実際の事件が作者ドイルのもとへ持ち込まれたり、時にはドイル自身が名探偵と思い込まれることもあり、随分閉口させられたようである。なお、ホームズシリーズには多くの矛盾が存在することも知られ、大部分はストランド・マガジン誌上で発表されているが、ドイルはそれらに気付いていながらも敢えて書き直しをすることはせずに、読者にその穴を探させたりするという方針を採っていた。

19世紀と20世紀の世紀転換点の時期に南アフリカで起こり、世界中からイギリスによる露骨な帝国主義的行動に非難が集中したボーア戦争に従軍し、『南アでの戦争:原因と行為』と題された小冊子を執筆した。この冊子は他国でも広く翻訳出版されることとなった。この冊子の功績により、1902年にイングランド南部のサリー副知事に任命され、また同年ナイト爵に叙せられた。したがって「サー」の称号はシャーロック・ホームズシリーズの功績とは無関係である。20世紀初頭に、彼はエディンバラとボーダー・バラズの議員にそれぞれ立候補した。かなりの票を得たが、いずれも落選した。

1903年、『勇将ジェラールの冒険』(Adventures of Gerard)を執筆。1912年、『失われた世界』(The Lost World)というチャレンジャー教授、ロクストン卿、マローン記者らが猿人、恐竜と遭遇する小説を執筆。後に同一登場人物シリーズで『毒ガス帯』、『霧の国』を出版。

晩年は、第一次世界大戦での息子キングスリーの死もあってか、心霊学に傾倒し英国心霊現象研究協会会員となるが、科学的すぎるとして脱退。交霊会や心霊学の講演、それに関する執筆などを行ない、「心霊主義の聖パウロ」の異名を取った。そして、コティングリー妖精事件において大失態を演じてしまった(紙に描いて切り取ったものを撮影した妖精写真を「本物だ」と断言。彼の発言により、妖精の実在を信じ込んだ者も多いとされる)。

1948年、短編の遺稿が発表された。

2009年02月20日

1995年に天才物理学者R・タンホイザー

『トップをねらえ!』の世界に設定された科学講座にでてくる用語。以下は『サイバーコミックスNO05』(バンダイ、1988年(昭和63年)12月25日)を出典とする。

エーテル理論
1995年に天才物理学者R・タンホイザー(? - 2013年5月4日失踪)が「Pacific Sci-ence」誌上に発表した「運動する物体のエーテル電磁気学」にはじまる、1995年 - 1999年におよぶ一連の論文により確立された。内容はゲージ理論、超弦理論、高次元空間理論により電磁、弱、強、重力相互作用を量子化し述べたもので、超統一理論であった。それによると互いに回転する複数のブラックホールに(エネルギー運動量が保存されない)高次元時空の泡が存在することが示されのちにタンホイザー・ゲートの名で知られる事になる。タンホイザーはこの功績で5年連続ノーベル賞を受賞している。
タンホイザー・ゲート
(名称はSF映画『ブレードランナー』の終盤の科白から)
バニシング・エンジン(バニシング・モーター)
タンホイザー・ゲートを利用し、この世界唯一のCプラス航法(光速を越えたように観測される航宙方法のこと)であるワープを可能とするエンジンのこと。なお超光速航法の正式名称は「次元波動超弦励起縮退半径跳躍重力波超光速航法」である。最初に発売されたOVAでは「励起」が「迎起」と誤記されており、再発DVDで訂正されている。
イナーシャル・キャンセラー
Gレーザー(GRASER, GRavity Amplification by Stimulated Emission of Radiation:放射誘導放出による重力増幅。イギリスのウィンズゲールにあったGレーザー研究所による研究段階では多量の水素原子を融合させ強大な重力波を得る)の技術による慣性消去システム。主にタンホイザー・ゲート内を超光速で移動していたワープ装置搭載の宇宙船がワープアウトし通常空間にもどった際などに、光速の90%もの速度による慣性を制御するため使用される。ただし小型化できコスモ・アタッカーにも搭載されている。
ちなみに、バンプレストのゲーム『スーパーロボット大戦シリーズ』に登場した時は、敵の攻撃を防ぐバリヤーになっている(第四話で宇宙怪獣を受け止めた時の描写からと思われる)が、本編中では攻撃を防ぐバスターシールドとは別のシステムと設定されている。
バニシング事件
2007年10月に人類初のワープ装置が実験中に消滅した事件。これがバニシング事件と呼ばれ、後にワープ装置はバニシングモーターと命名された。原因のひとつはMBH(マイクロブラックホール)制御技術とイナーシャル・キャンセラーが実用化にまで至っていなかったことである。
『トップをねらえ!』の世界では冥王星(製作当時は第9番惑星とされていた)より外側に4つの惑星と太陽の伴星「ねめしす」が発見されている。

第5話の「太陽系絶対防衛戦」における雷王星軌道付近でのエクセリヲンの自沈によって、魔王星と智王星は軌道を外れ、雷王星も構成物質の9割を失った。また木星はバスターマシン3号(ブラックホール爆弾)建造のために使われ、やはり消滅した。
パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

終盤で登場するカタカナのキーワードが一文字だけ逆さなのは、特定の文字文化が衰退してしまい、その時点で解読が困難だったからという設定(考案者の岡田斗司夫の発言、BSアニメ夜話より)。
グレートアトラクター編によると主人公の帰還後急いでいたために間違えたとなっている。

2009年02月04日

二条(にじょう)家は、五摂家のひとつで公家

藤原氏北家九条流。鎌倉時代、九条道家の二男二条良実が、二条京極の邸宅を二条殿と称したのが家名の由来。序列は近衛家、一条家に次ぎ、九条家、鷹司家と同格扱いであった。家紋は二条藤。江戸時代の家禄は1700石。維新後、公爵。 足利将軍家および徳川将軍家から、代々偏諱を賜い、五摂家のなかでは、最も親幕府派とされる。また、史上最後の関白(二条斉敬)を出した家でもある。
タジーン ドジョブ セキュア きり ポストマン ニアミス フェデ ラテックス ホトトギス フェー タイダイ ふうせん ベリル そばみち メントール カネロニ キャンドル ファンク ブッシェル チェチ シュロチ チンネ じゃぼ ジベレリン タイシ ふらの タンキニ レユニ クロスボ 鉄人 リッポン ティナド いささ トリップ とうみょ ロレック ストップ プラン テンス プロテオ ノクターン ハコネ ハートフル タヒチ まるも ダウン ウェブ ザンサス びゃっこ マフィン

鎌倉時代末期の元弘の変において後醍醐天皇の関白二条道平が倒幕関与の疑いを受けて鎌倉幕府より「中院禅閤(二条兼基)等子孫不可為家督」(『花園院宸記』正慶元年4月10日条)の処分を受けて二条家は一時断絶の危機に陥った(後醍醐天皇の復帰で無効となる)。続く、南北朝時代に一時分裂したが、北朝方二条良基(道平の子)のもとで勢力を取り戻した。特に明治以前の即位式において新天皇に灌頂を授ける即位灌頂の儀を掌る役目は室町時代以後二条家が独占していた。江戸時代、当時の摂家最大の実力者とされていた近衛基熙が本来は摂関家全てに即位灌頂の礼式が伝わっている事、先代当主の二条光平の早世で礼式が絶えたことを理由に二条家の独占を継続すべきではないと唱えた。これに対して霊元上皇は他家にも伝わっているにも関わらず二条家の独占になっているのは相応の理由があるからであるとして、たとえ二条家当主が現職の摂関・大臣でなくても「即位灌頂」のみは二条家当主が行う事、もし当主が幼くして二条家を継いだ場合には儀式の秘法を知るもう一人の存在である当代の天皇が責任をもって当主に伝授する事を裁定して公式に二条家の独占となった。

江戸時代の屋敷跡地は、京都御苑の区画外に位置していたため、他の4家の摂政関白家とは異なり公園とはなってはおらず、同志社女子大学の構内となっている。

江戸時代の二条邸
江戸初期には京都御所南部にあったがのちに北部に移転した。現在は同志社女子大学今出川キャンパスの敷地の一部となっている。茶室は同志社大学に移築され現在も保存されている。政所御殿と表門は随心院に移築され、それぞれ庫裏、総門として使われている。

主な人物
二条良実(1216年 - 1270年)
二条兼基(1268年 - 1334年)
二条良基(1320年 - 1388年)

系譜
凡例 太線は実子、細線は養子。(なお嫡流を書き連ねる事とする。)   
     良実
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     道良  教良  師忠  兼基  経通
     ┏━━━┫   ┝━━━┓
     経教  教基  兼基  冬通  
         ┏━━━┻━━━┳━━━┳━━━┓
         道平      師基  基教  良冬
     ┏━━━╋━━━┓   ┃
     良基  良忠  道直  教基
     ┣━━━┳━━━┓   ┃
     師良  師嗣  経嗣  冬実
         ┣━━━┓
         満基  持基
             ┃
             持通
             ┃
             政嗣
             ┃
             尚基
             ┃
             尹房
             ┣━━━┳━━━┓
             晴良  良豊  尋憲
             ┣━━━┳━━━┳━━━┓
             兼孝  昭実  信房  義演
                 |
                 康道
                 ┃
                 光平
                 |
                 綱平
                 ┃
                 吉忠
                 ┃
                 宗熙
                 |
                 宗基
                 ┣━━━┓
                 重良  治孝
             ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┓
             斉通  輔嗣  寛季  斉信  尚忠
                        
藤原北家(ふじわらほっけ)とは、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。藤原房前の邸宅が兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことがこの名の由来。

祖の房前は元正朝で他の兄弟に先んじて参議に昇進すると、後に祖父鎌足以来の内臣となり、元正天皇の側近として長屋王と政権を争った。聖武朝になると、神亀6年(729年)長屋王の変により政権を掌握し、藤原四子政権でも中心人物として政権を主導したが、天平9年(737年)の天然痘蔓延により他の兄弟とともに病没してしまう。

その後奈良時代後期?平安時代初期にかけては、光仁朝で房前の子である永手・魚名が左大臣となるも、永手の嫡男家依は早逝し、魚名は氷上川継の乱に連座して失脚したこともあり、南家・式家に押されがちの状態にあった。

しかしながら、平城朝以降、大同2年(807年)の伊予親王の変にて南家、弘仁元年(810年)の薬子の変にて式家の勢力が衰えると、嵯峨天皇の信任を得た冬嗣が急速に台頭し他家を圧倒するようになった。さらに、冬嗣(文徳天皇)・良房(清和天皇)・基経(朱雀天皇・村上天皇)と北家嫡流が三代に亘って天皇の外祖父となり、同家の優勢を確立した。以後、北家嫡流が藤氏長者となり、摂政・関白もこの系統から輩出することになった。後に、道長・頼通の代で藤原摂関政治の全盛を極める。

道長・頼通の子孫は五摂家を輩出し公家の最高家格を独占するに至った。また、他の藤原姓の堂上各家もほとんどが北家の子孫である。

派生氏族は公家ばかりではなく、道兼流宇都宮氏・小田氏、長家流那須氏、勧修寺流上杉氏、山蔭流伊達氏、利仁流斎藤氏・加藤氏、秀郷流奥州藤原氏・藤姓足利氏・小山氏・結城氏・佐野氏・小野崎氏など、主に関東・北陸・東北を中心に活躍した多数の武家が藤原北家の末裔と称した。

藤原四家の中では遅く花開いた一族だが、結果として藤原四家の中でも最も根を拡げることになった一族である。

一族

嫡流
藤原鎌足 - 藤原氏祖
藤原不比等 - 鎌足の次男
藤原房前 ? 不比等の次男 藤原北家の祖
藤原真楯 - 房前の三男
藤原内麻呂 - 真楯の長男
藤原冬嗣 - 内麻呂の次男
藤原良房 - 冬嗣の次男
藤原基経 - 良房の養子(長良の三男)
藤原忠平 - 基経の四男
藤原師輔 - 忠平の次男
藤原兼家 - 師輔の三男
藤原道長 - 兼家の四男
藤原頼通 - 道長の長男
藤原師実 - 頼通の三男
藤原師通 - 師実の長男
藤原忠実 - 師通の長男
藤原忠通 - 忠実の長男
近衛基実 - 忠通の長男 近衛家の祖
九条兼実 - 忠通の三男 一条家の祖

主な傍流
藤原永手 - 房前の次男
藤原真夏 - 内麻呂の長男 日野家流祖
藤原長良 - 冬嗣の長男
藤原純友 - 長良の曾孫
藤原良門 - 冬嗣の六男
藤原利基 - 良門の長男 4代後に紫式部
藤原高藤 - 良門の次男 勧修寺流祖
藤原時平 - 基経の長男
藤原実頼 - 忠平の長男
藤原頼忠 - 実頼の次男
藤原公任 - 頼忠の長男
藤原佐理 - 実頼の孫
藤原実資 - 実頼の孫
藤原伊尹 - 師輔の長男
藤原公季 - 師輔の十二男 閑院家祖
藤原兼通 - 師輔の次男
藤原道隆 - 兼家の長男
藤原道綱 - 兼家の次男
藤原道兼 - 兼家の三男
藤原教通 - 道長の四男
藤原頼長 - 忠実の次男
藤原清河 - 房前の四男
藤原魚名 - 房前の五男
藤原藤成 - 魚名の子
藤原豊沢 - 藤成の子
藤原村雄 - 豊沢の子
藤原秀郷 - 村雄の子
ただし、生存時期において嫡流と見なされていた人物がその後の子孫の盛衰によって傍流と位置づけられた者もいる(例・藤原永手・実頼など)。

系譜
凡例 太線は実子。(なお、嫡流を書き連ねることとし、傍系は下記の系図の下に記載する。また養子はあえて記載せず。)   

北家本流(摂関家流)
     房前
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━━┓
     鳥養  永手  真楯  清河  魚名  御楯  楓麿  宇比良古
             ┣━━━┳━━━┓
             内麿  永継  真永
     ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓   
     真夏  冬嗣  秋継  桜麿  福当麿  長岡  愛発  率  大津  衛  助  収  緒夏
     ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓   
     長良  良房  良方  良輔  良相  良門  良仁  良世  順子  古子
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     国経  遠経  基経  高経  弘経  清経  季平  淑子  高子  有子
     ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓   
     時平  兼平  仲平  忠平  良平  頼子  佳珠子  温子  穏子
     ┏━━━┳━━━┳━━━╋━━━┳━━━┓
     実頼  師輔  師保  師氏  師尹  寛子
     ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓   
    伊尹  兼通  兼家  遠量  忠君  遠度  高光  為光  尋禅  公季  安子  登子  愛宮  怤子  繁子
     ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 
     道隆  道綱  道兼  道義  道長  兼俊  超子  詮子  綏子
     ┏━━━┳━━━┳━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓   
     頼通  頼宗  顕信  能信  教通  長家  長信  彰子  妍子  寛子  威子  尊子  嬉子  盛子
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓    
     通房  覚円  俊綱  師実  定綱  忠綱  寛子
     ┏━━━┳━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓   
     師通  家忠  経実  能実  忠教  忠長  覚実  仁源  覚信  静意  澄真  行玄  尋範
     ┣━━━┳━━━┓                    
     忠実  家政  家隆                  
     ┣━━━┳━━━┓   
     忠通  頼長  泰子
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓   
     基実  基房  兼実  兼房  慈円  信円  聖子

魚名流
     魚名
     ┣━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     鷹取      鷲取  末茂  藤成  真鷹
     ┣━━━┓   ┣━━━┓   ┃    
     星雄  真雄  藤嗣  小屎  豊沢
     ┃       ┃       ┃
     松影      高房      村雄
         ┏━━━╋━━━┓   ┃
         時長  山蔭  智泉  秀郷
         ┃       ┃        
         利仁      佐高
                 ┃
                 経臣
             ┏━━━┫
             雅材  元命
             ┃
             惟成

利仁流
     利仁
     ┣━━━┳━━━┓
     叙用  光義  利行
     ┃    
     吉信
     ┣━━━━━━━┳━━━┓
     忠頼      重光  伊博
     ┃       ┃   ┣━━━┳━━━┓
     吉宗      貞正  公則  為延  則光
     ┃       ┃   ┃   ┃   ┃
     宗助      正重  則経  為頼  則重
     ┣━━━┓   ┃   ┃   ┃   ┃
     貞宗  家国  景道  則明  為永  助宗
     ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┣━━━┓
     貞光  信家  景清  公広  為盛  実遠  宗景
     ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
     光家  家通  景員  実信  以成  実直  宗長
     ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
     光明  家経  景廉  実遠  以頼  実盛  景頼
     ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
     光平  泰家  景長  実基  時頼  盛房  親頼

山蔭流
     山蔭
     ┣━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━━━━━┳━━━┓
     有頼      公利  遂長  言行  兼三      中正  如無
     ┃       ┃           ┣━━━┓   ┣━━━┓   
     在衡      守義          祐之  為忠  安親  時姫
     ┣━━━┓   ┃       ┏━━━┫   ┃   ┃   
     国光  正妃  永頼      忠信  俊宗  高節  為盛
     ┃       ┃           ┃   ┃   ┃   
     忠輔      師方          明快  貞仲  定任
     ┃       ┃                   ┃   
     相任      義範                  宗実
     ┃                           ┃   
     相継                          季孝
     ┃                           ┃   
     相国                          家周
     ┃                           ┃   
     国重                          光隆
     ┃                           ┃   
     兼広                          朝宗
     ┃   
     盛長

末茂流(六条藤家、善勝寺流、四条家流)
     末茂
     ┣━━━┳━━━┳━━━┓
     総継  門継  野継  沢継
     ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┓   
     直道          秀道  沢子
     ┣━━━┳━━━┓   ┃
     有穂  連永  連茂  恒興
     ┃   ┃   ┃   ┃
     後蔭  鮮子  佐忠  有時
             ┃
             時明
             ┃
             頼任
             ┃
             隆経
             ┃
             顕季
     ┏━━━━━━━┻━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
     長実          家保                  顕輔
     ┣━━━┳━━━┓   ┣━━━┳━━━┳━━━┓       ┣━━━┳━━━┓
     顕盛  長輔  得子  家成  家長  保成  宗保      清輔  重家  季経
     ┃   ┃   ┏━━━╋━━━┳━━━━━━━┳━━━┳━━━┓   ┣━━━┳━━━┓
     俊盛  実清  隆季  家明  成親      盛頼  実教  経子  経家  顕家  有家
     ┃       ┣━━━┓   ┣━━━┓   ┃
     季能      隆房  円玄  成経  公佐 俊成卿女
             ┣━━━┓       ┃
             隆衡  隆弁      実直

秀郷流
     秀郷
 ┏━━━┻━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
千時      千春  千国  千種  千常
 ┃    ┏━━━┫
千清              千万  文修
 ┃   ┏━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━┓
正頼  文行                          兼光
 ┃   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓       ┃
頼遠  公光                  脩行      頼行
 ┃   ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┓   ┃       ┣━━━━━━━━━━━┓    
経清  公清          経範  公季  行景      兼行          行尊
 ┃   ┣━━━┓       ┃   ┃   ┃       ┣━━━━━━━┓   ┃
清衡  季清  助清      経秀  公助  景親      成行      孝綱  行政
     ┃   ┃       ┃   ┃   ┃       ┃       ┃   ┣━━━━━━━━━━━┓       
     康清  助道      秀遠  文郷  景頼      成綱      秀基  政光          行義
 ┏━━━┫   ┣━━━┓   ┃   ┃   ┣━━━┓   ┃       ┃   ┣━━━┳━━━┓   ┣━━━┓
仲清  西行  親清  通清  遠義  光郷  能成  頼平  家綱      秀忠  朝政  宗政  朝光  行平  政義
 ┃        ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┣━━━┓   ┃   ┃   ┃   ┃
基清      義通  政清  経家  朝光  能直  資頼  俊綱  有綱  秀宗  朝長  時宗  朝広
         ┃   ┃       ┣━━━┓       ┃   ┃   ┣━━━┳━━━┓
         俊通  光政      光季  光宗      忠綱  基綱  秀康  秀能  秀澄
     ┏━━━┫    
     俊綱  経俊    

房前裔諸流
     房前
     ┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━┓
     鳥養          永手          楓麿
     ┃           ┣━━━┳━━━┓   ┣━━━┳━━━┓
    小黒麿          家依  雄依  曹司  園人  園主  城主
     ┣━━━┳━━━┓   ┃   ┃       ┃   ┃
    葛野麿  道雄  上子  三起  加祐麿      並人  諸貞
     ┣━━━┓       ┃           ┃   ┣━━━┓
     常嗣  氏宗      宗成          氏雄  貞守  梶長
     ┃   ┣━━━┓                   ┃
     興邦  春景  有文                  今子

真永流 
     真永
     ┃
     永貞
     ┃
     嗣宗

真夏流(日野家流) 
  →(日野家を参照のこと)

内麻呂裔諸流 
     内麿
     ┣━━━━━━━┳━━━┓
    福当麿      長岡  大津 
     ┣━━━┓   ┃   ┃
     数守  賀登子  潔子  良縄
     ┃
     在淵
     ┃
     仁歟

長良流(法性寺流)
     長良
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     国経  遠経  基経  高経      弘経  清経  季平  淑子  高子  有子
     ┃   ┣━━━┓ ┣━━━┓ ┃ ┃
     忠幹  良範  尚範  惟岳 兵衛命婦 輔相  元名
     ┃   ┣━━━┓ ┃      ┣━━━━━━━┓
     文信  純友  純乗  倫寧          文範      知章
     ┃   ┃   ┏━━━┻┓          ┣━━━┓   ┃
     惟風  直澄  長能  藤原道綱母        為雅  為信  頼範
     ┃ ┃               ┃
     惟経  諸澄                 中清
     ┃ ┃               ┃
     知綱  永澄                 範永
     ┃ ┃               ┣━━━┳━━━━┓
     知信  清澄                 良綱  清家  藤原範永女
     ┃ ┃               ┃   ┃
     為忠  遠澄                 孝清  永雅
     ┃ ┃               ┃   ┃
     為経  幸澄                 範孝  範綱
     ┃ ┃               ┃   ┃
     隆信   経澄                 宗隆  良清
     ┣━━━━━┓               ┃
     信実  順徳院兵衛内侍              実隆
     ┣━━━━━┳━━━━━━┓         ┃
     信海  藻璧門院少将   弁内侍         範昌
                   ┃
                     永康

良門流
     良門
     ┣━━━┓
     利基  高藤
     ┣━━━┓
     兼茂  兼輔
     ┃   ┣━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┓
    兵衛命婦 雅正              清正  守正
     ┏━━━┻━━━┳━━━━━━━┓   ┃   ┃
     為頼      為長      為時  光舒  善理
     ┃               ┣━━━┓   ┃
     伊祐              惟規  紫式部  資国
     ┣━━━┓           ┃       ┃
     頼祐  頼成          員職      国仲
     ┃   ┣━━━┳━━━┓   ┃       ┃
     実範  惟綱  清綱  祇子  盛綱      盛重
     ┃   ┃   ┃       ┃
     伊綱  惟子  隆時      盛国
     ┃       ┃       ┃
    源顕雅母     清隆      邦綱
             ┣━━━┓   ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
             光隆  定隆  重邦  清邦  基行  輔子  綱子
         ┏━━━┫
         雅隆  家隆
             ┃
             隆祐

高藤流(勧修寺家流)
  →(勧修寺流を参照のこと)

冬嗣裔諸流 
     冬嗣
     ┣━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━┓
     良房       良相       良仁  良世
     ┃   ┏━━━━╋━━━━┓   ┃   ┃
     明子  常行  多可幾子  多美子  有実  恒佐

時平流
     時平
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     保忠  顕忠  敦忠  褒子  仁善子
          ┃ ┃
         信輔  助信
         ┃ ┣━━━┓
         正光  相如  信慶
         ┃
        小侍従命婦

実頼流(小野宮家流)
  →(小野宮流を参照のこと)

師尹流(小一条家流)
     師尹
     ┣━━━━━━━┳━━━┳━━━┓
     定時      済時  定昭  芳子
     ┃       ┣━━━┳━━━┓
     実方      為任  通任  娍子
     ┣━━━┓   ┃   ┃
     朝元  貞叙  定任  師成
     ┃   ┃       ┃
     師任  成尋      師季
                 ┃
                 尹時
                 ┃
                 師綱
                 ┃
                 親綱
                 ┃
                 家時
                 ┃
                 師平
                 ┃
                 頼基
                 ┃
                 高基
                 ┃
                 家綱
             ┏━━━┫
             師言  昌家

伊尹流(世尊寺家流)
  →(世尊寺家を参照のこと

兼通流 
     兼通
     ┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━┓
     顕光          朝光      正光  媓子
     ┣━━━┳━━━┓   ┣━━━┓   ┣━━━┓   
     重家  元子  延子  朝経  姚子  兼貞  光子
                         ┃   
                         政兼
                          ┃   
                         隆禅

為光流 
     為光
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     誠信  斉信  道信  公信  尋光  忯子
                 ┃   
                 実康
                 ┃   
                 頼尊

公季流(閑院家流)
  →(閑院流を参照のこと)

道隆流(水無瀬家流)
     道隆
     ┣━━━┳━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     道頼  伊周        隆家  周頼  周家  好親  頼親  隆円  定子  原子  御匣殿
     ┃   ┣━━━━┓    ┣━━━━━━━┳━━━┳━━━┓
     忠経  道雅   顕長   良頼      経輔  良員  季定
     ┃   ┃    ┃    ┣━━━┓ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     覚尋  覚助  伊賀少将  良基  家基  師家  師基  師信  政則  増誉
                   ┃  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
                   隆宗  宗康  家範  国明  経忠  則隆
                   ┃   ┃  ┃   ┏━━━┫
                   宗兼  覚讃  基隆  忠能  信輔
                   ┃      ┃ ┃   ┣━━━━━┳━━━━━━━┓
                  池禅尼      忠隆  長成  信隆    信行      親信
           ┏━━━┳━━━┳━━━┫   ┃   ┣━━━━━┳━━━┓   ┃
             隆教  基成  信頼  家頼  能成  信清    隆清  殖子  定輔
               ┃   ┃   ┃   ┏━━━┳━━━┻┓    ┃
             隆親  隆実  信親  忠信  忠清  西八条禅尼  清親
                      ┃      ┃
                           長信            基輔
                 ┃         ┃
                           信家            俊輔
                 ┃         ┃
                           信顕            清忠

道綱流
     道綱
     ┣━━━┳━━━┓
     兼経  道命  豊子
     ┣━━━┳━━━┓
     基家  敦家  顕綱
         ┃   ┣━━━┳━━━┓
         敦兼  家通  有佐  長子
         ┣━━━┓
         季行  季家
         ┣━━━┓
         重季  定能

道兼流
     道兼
     ┣━━━┳━━━┳━━━┓
     兼隆  兼綱  兼信  尊子
     ┣━━━┓
     兼房  定房
     ┃   ┃
     宗円  重房
         ┃
         重兼
         ┣━━━┓
         資隆  皇円
         ┃
         隆寛

頼宗流(中御門家流)
  →(中御門流を参照のこと)

教通流
     教通
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     信家  通基  信長  静円  生子  真子  歓子

長家流(御子左流)
 
師実裔諸流(花山院家流)
 (*師実の次男・四男・五男に始まる三流をあわせて花山院家流と称す)
     師実
     ┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┓
     家忠          経実              忠教
     ┃           ┣━━━┳━━━┳━━━┓   ┣━━━┳━━━┓
     忠宗          経定  経宗  光忠  懿子  忠基  教長  頼輔
     ┣━━━┳━━━┓       ┣━━━┓       ┃       ┃
     忠雅  忠親  覚成      頼実  師経      家通      頼経
     ┃   ┃           ┃   ┃           ┏━━━┫
     兼雅  兼宗          麗子  家嗣          宗長  雅経

師通裔諸流
     師通
     ┣━━━━━━━━━━━┓
     家政          家隆
     ┣━━━┳━━━┓   ┃
     雅教  三条局  家子  成隆
     ┃
     雅長
     ┃
     家信
     ┣━━━┳━━━┓
     雅継  雅平  深寛
     ┃   ┣━━━┓
     雅持  親家  雅子          

[編集] 頼長流
     頼長
     ┣━━━┳━━━┳━━━┓
     兼長  師長  隆長  範長

2009年01月21日

クラブなどのゴルフ用具を持ち運ぶために使用する

ゴルフバッグ
クラブなどのゴルフ用具を持ち運ぶために使用する。
グローブ
いわゆる手袋。利き手でない方の手のみに着用することが多い。
スパイク
ゴルフは基本的に芝の上で行うが、長さのある芝は滑りやすいため、スパイクの着用は必須である。金属ポイントのものとポイントレス(プラスチックポイント)のものがある。近年、金属ポイントを禁止しているコースがほとんどである。グリーン上ではスパイクで芝を傷つけずに歩くことがマナーとして求められる。
ティー
ティーショットの際にボールを持ち上げて打ちやすくするための台となる木製や樹脂製の5?10cm程度の長さで杭状の道具。使用しなくても良いし、ルールに規定はないためマナー上などの問題がなければ、何を使用しても良い。
マーク(マーカー)
主にグリーン上でボールを取り上げる際に、代わりに目印として置いておくもの。コイン様の小さな円盤か、地面に差し込む突起のついた大きめの画鋲のような形状をしている。金属かプラスチック製で1cmほどの大きさ。グリーンを参照。
カート
ゴルフバッグや競技者を運ぶための小型のコース用の車を広く指す。プロの場合、ゴルフバッグは通常キャディが持つが、アマチュアでは4人1組の競技者に対してキャディは1人の場合がほとんどであり、いないことも多いため、ゴルフバッグを運ぶために利用されている。アメリカやイギリスでは競技者が自分のゴルフバッグだけを載せて自分で動かしていくカートもよく見られる。日本では4人分のゴルフバッグが全て積み込め、電動で動くカートがよく見られる。2人または4人の競技者が乗り込める乗用カートもある。Golf cart
世界4大大会をメジャートーナメントと呼ぶ。4大大会(シニアは、5大大会)を1シーズンですべて優勝することを「グランドスラム」という。これを生涯のうちで達成することを「キャリア・グランドスラム」という。

男子
マスターズゴルフトーナメント
全米オープン
全英オープン
全米プロゴルフ選手権
男子シニア(50歳以上)
全米シニアプロゴルフ選手権
シニア・プレーヤーズ選手権
全英シニアオープン
全米シニアオープン
ザ・トラディション
女子
クラフト・ナビスコ選手権
全米女子プロゴルフ選手権
全米女子オープン
全英女子オープン
女子(LPGA)ツアーにおいては、2000年まで4大大会のひとつだったデュモーリエ・クラシックを合わせた5大会で優勝することを“スーパー・グランドスラム”という。ただし「デュモーリエ・クラシックの優勝経験者」が全英女子オープンで優勝した場合にしか成立しない(2002年にカリー・ウェブが達成)。女子のメジャー大会は長い歴史を通じて何度も変わってきたため、その複雑な事情を反映した用語のひとつと言える。

世界の主要ゴルフツアー
メジャーを含む多くの大会を一つにまとめツアーと呼び、賞金王を決める。賞金ランキングは来シーズンのシード権と関係する場合が多い。

男子
全米プロゴルフ協会(PGAツアー)
世界ゴルフ選手権
チャンピオンズツアー (Champions Tour)
欧州PGAツアー(PGA European Tour)
日本ゴルフツアー機構 (JGTO)
オーストラリアプロゴルフツアー(PGAオーストラリア)
アジアンツアー(Asian Tour)
レコーダ ケース チトク 時代の扉 僕達の舞台 フットホ セット リーダー ムーミン カーラ ヌーベ エンジェル ケーエフ マスメ ブラウ フェース コモン キモスタ スクハ プリン ユーロダ マリーナ ジョイント 天慶 シーザー ビブ シンプトン カラー ロケオ カザノ カラー レタッ サラマ トラン ロスタ マカラ グルプ アニメ クレス シーズンオ トンネル セリウ 楓の小舎 杜仲 サーチズミ ピース パラグ チポフ チョイス ムード

サンシャインツアー(南アフリカプロゴルフツアー)
ライダーカップ(アメリカ・欧州代表対抗戦)
プレジデンツカップ(アメリカ・国際代表対抗戦)
ロイヤル・トロフィー(アジア・欧州代表対抗戦)
女子
日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)
全米女子プロゴルフ協会(LPGAツアー)
欧州女子ゴルフツアー(LPGAヨーロッパ)
ALPGツアー(オーストラリア)
ソルハイムカップ(アメリカ・欧州代表対抗戦)
レクサスカップ(アジア・国際代表対抗戦)

日本のメジャー大会
男子
日本プロゴルフ選手権大会
日本ゴルフツアー選手権
日本オープンゴルフ選手権競技
ゴルフ日本シリーズ
女子
ワールドレディスチャンピオンシップ
日本女子プロゴルフ選手権大会
日本女子オープンゴルフ選手権競技
LPGAツアーチャンピオンシップ