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七尾畠山家ともいわれる。歴代の当主が修理大夫

七尾畠山家ともいわれる。歴代の当主が修理大夫に任じられたため、その唐名より畠山匠作家とも称された。修理大夫は畠山国清が称した官位であることから、没落した畠山国清系統の再興を意図したのではないかとの指摘がある。

能登国は、当初は吉見家が守護を務めていたが、康暦の政変において細川頼之派であった吉見氏興が失脚し、代わって守護となった本庄宗成(義満の寵臣の一人で元々日野家の家人)もまた統治に失敗があったため、足利一門にして足利義満の信頼の厚かった畠山基国が守護となり、以降は畠山家の分国となった。

初代当主である畠山満慶は、父である畠山基国の没後、当時足利義満の逆鱗に触れて蟄居していた兄・畠山満家に代わって畠山家本家の家督を継いでいたが、義満の没後に満家が赦免されたため、満慶は家督を兄満家に返還した(当時は「天下の美挙」と言われた)。兄の満家は感謝の意から分国のうち能登一国を満慶に与え、応永15年(1408年)に畠山満慶を初代とする能登畠山家が創設された。

満慶と第2代当主・畠山義忠は、在京守護であり、所領の支配は守護代の遊佐家に委ねられていたが、応仁の乱後、第3代当主・畠山義統が能登に下向したことで在国大名となり、強力な領国支配体制を築き定着していったことで、他国の守護大名分国で起こったような下剋上が能登では起こらなかった。
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しかし、第4代当主・畠山義元の時、弟の畠山慶致との間で兄弟争いが起こり、明応9年(1500年)には慶致派の守護代の遊佐統秀によって義元は追放され、第5代当主に弟の慶致が擁立された。だが、一向一揆など戦国の状況が能登でも差し迫ってくると、永正3年(1506年)、両者は和解して義元は復帰して再び当主となった(その代わりの条件として、慶致の子・義総が義元の後継者と設定された)。

第7代当主・畠山義総は名君であり、畠山氏のお膝元である七尾は都から貴族も転居してくるなど小京都と呼ばれるほどに栄え、能登畠山家もまた大いに繁栄した。

しかし義総が死去し第8代当主として畠山義続が家督を継ぐと統制が乱れ、畠山七人衆と呼ばれる重臣の権力者グループに実権を握られ大名は傀儡化されてしまう。第9代当主・畠山義綱のときに一時、内乱を鎮圧し大名権力を奪回し大名専制支配を行ったが、重臣たちの反発を招き、当主の追放というクーデターに発展した。その後はまた重臣たちに権力を握られ、内部紛争が続き衰退の道をたどった能登畠山家は、天正5年(1577年)に越後の上杉謙信の侵攻を受けて滅亡した。

なお、義綱の弟・畠山義春は上杉景勝に仕え、その姉を正室に迎えて上条上杉家の名跡を継いだ。彼の長男・畠山景広は米沢藩一門衆に、次男長員は高家旗本上杉家の祖に、三男・義真は高家肝煎畠山家の初代となっている。

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2009年06月09日 12:03に投稿されたエントリーのページです。

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