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中央のパリでジャコバン派が

中央のパリでジャコバン派がイニシアティヴをとった後も、地方では王党派やジロンド派の勢力が残っていた場所があった。革命政府はそれらの地域に対し、中央のパリから派遣議員を送り、反革命派の粛清をはかった。これに対する反革命派の抵抗により、フランス全土は内戦状態に陥る。

内戦により、ヴァンデ、リヨン、トゥーロンで革命軍による虐殺が起きた。ヴァンデの反乱は1793年末までに、ほぼ鎮圧され、ロワール川を渡りブルターニュを目指した8万人の農民のうち、生き残ったのは僅か4、5千人であった。リヨンでは派遣議員のフーシェ、コロー・デルボワの指導のもとに教会の略奪が命じられ、叛徒の処刑が4ヶ月にわたり間断なく続けられ、犠牲者は2千人を越えた。トゥーロンでは、陥落後にバラスとフレロンの指揮下で1794年1月末までに千人以上の処刑が行なわれた(詳細はヴァンデの反乱・リヨンの反乱・トゥーロン攻囲戦をそれぞれ参照のこと)。

ジャコバン派内では、ロベスピエール、もしくはサン・ジュストとクートンを加えた「三頭政治家」へのダントン派(寛容派)とエベール派の戦いという形で分派闘争が起きる。

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1794年1月8日、ロベスピエールは、ジャコバン・クラブで、両派を激しく非難する演説を行なう。
矛先はまずダントン派に向けられた。インド会社の解散に伴う清算における横領が発覚し(インド会社事件)、1794年1月13日、ファーブル・デグランティーヌが逮捕され、外国人から収賄している議員の名前を暴露した。

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2009年10月02日 03:31に投稿されたエントリーのページです。

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